藤原林七の石橋

1765年(明和2年)に生まれ、長崎奉行所の役人として勤め る。アーチ型石橋の虜となりオランダ人に接近するが、奉行所 の知るところとなり1787年(天明7年)種山村に逃げ込む。 宇七から石工の仕事を習いながらアーチ型石橋の架設技術を学んだ。
林七が残した石橋は三橋だけですが、種山石工に残した技術 は三五郎、勘五郎を考えればすばらしいものだったと思う。

鍛冶屋上橋
鍛冶屋中橋
鍛冶屋下橋
鍛冶屋上橋
鍛冶屋中橋
鍛冶屋下橋
鍛冶屋三橋(八代郡東陽町北字西原)  1804年(文化元年)

石匠館の横に渡る人も無く、静かに佇む。嘉八や三五郎と共に架けただろうと思う。この橋から種山石工の活躍が始まり、その活躍を見守っていたのだろう。