橋本勘五郎の石橋
1822年(文政5年)「種山石工」嘉八の三男、林七の孫として 生まれる。卯助・宇市ら兄弟ともに「三五郎」の弟子ととなり、 三五郎と八代藩・薩摩藩に赴き多くの技術を学び取っていっ た。この兄弟の技術の確かさと凄さは「通潤橋」「霊台橋」を見 ただけで分かる。独立してから東京の二重橋などてがけ、帰 郷後、「明八橋」「岩本橋」などを残し、「鍛冶屋自然石橋」「大 久保自然石橋」を遊心として残している。1897年(明治30 年)76歳でこの世を去る。
霊 台 橋
霊台公園展望台からの眺めです。
1847年架設
下益城郡砥用町清水
下 鶴 橋
この橋は鞘石垣が使われた美しい石橋です。
1886年架設
御船町滝尾字下鶴
高井川橋
国道の横で長年の仕事をやり終えて余生を楽しんでいるかのようだ。
1881年架設
鹿北町岩城字高井川
鍛冶屋自然石橋(八代郡東陽村北)写真左
大小様々な名橋を架けてきた橋本三五郎が、最後に残した二つの自然石橋の一つです。橋幅は半分以下になっているとの事です。
1895年架設
岩本橋(荒尾市上井手字岩本)写真右上
水切り石が上・下流に取り付けられています。
明治初期架設
永山橋(菊池市原字永山)写真右下
親柱と手摺が円筒形の橋です。
1878年架設
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