アーチ型石橋とは
1.アーチ型石橋の種類
欧州型 紀元前1世紀頃、ローマ帝国がローマに築いたのが最初。
煉瓦積みのように石を並べる。
九州・本州の石橋はこの形が多い。
中国型 紀元610年頃、逍州橋を築いたのが最初。
リブアーチ(縦軸方向積み)。
沖縄に多い。
2.日本のアーチ型石橋
   日本最古のアーチ型石橋は、1502年(弘治15年)に架けられた「天女橋」です。その後、1634年(寛永11年)長崎眼鏡橋が架けられ、九州各地に拡がっていった。熊本では、1774年(安永3年)に仁平が「黒川橋」の試作として架けた「洞口橋(リブアーチ)」が最初である。そして、「種山石工」を率いる岩永三五郎が鹿児島で数多くの石橋を架け、熊本・鹿児島の石工により全国に普及していった。
熊本、鹿児島、大分に石橋は集中して残っている。
3.日本のアーチ型石橋の違い
   日本に残された石橋には地域、目的、資金などにより3タイプに分けられる。「熊本型」、「長崎型」、「鹿児島型」と呼ばれる。
・熊本型石橋
  (1)壁石が「乱れ積み」である。
  (2)手摺高欄は出来る限り省く。
   熊本では藩の援助が無く、庄屋・農民が資金を用意したため、輪石に金をかけ壁石は自然石にした。強度に関係のない手摺欄干は省いた。
・長崎型石橋
  (1)壁石が「水平布積み」である。
  (2)手摺高欄の装飾が見事である。
  (3)橋面を石張りする。
   長崎では商人・藩の資金で架けたため、贅沢な作りになっている。長崎の石工の彫り技が優れ、手摺欄干の装飾がなされたと思う。
・鹿児島型石橋
  (1)壁石が「扇積み」である。
  (2)手摺高欄にも財を尽くした。
   鹿児島では藩が中心となり産業発展・交通・防衛の面から、藩の威厳を賭けた事業となった。加工石が十二分に使われた。
   鹿児島の架橋は、熊本の「種山石工」が中心となり洪水対策の技術が多くなされた。この技術と熊本の壁石技術が合わさり、後の「霊台橋」、「通潤橋」が生まれる事になる。


上記内容は、山口 祐造先生が著書「石橋は生きている」の中で述べられています。もっと詳しく知りたい方は一読を!!